「人間という種を保存するため、その弊害をなくしていくこと?」ですかね。ですから、温暖化だのオゾン層破壊だの環境ホルモン、電磁波も心配だ、となるのですが、自然はもっと複雑にからみあった鎖のようなもので繋がっています。全体を見ないことには環境破壊のこわさは実感としてわいて来ないかもしれません。
たとえば食物連鎖を考えてみます。
一例として、シマウマは草を食べ、そのシマウマをライオンが食べます。草は動物の糞などの養分を吸収してますから、ライオンは自分のウンチを食べているとも言えたりします。この連鎖がどこかで切れると、たとえばライオンが居なくなるとシマウマが増えて、結局食べ物の草、木々の葉っぱが足りなくなり、その他の草食動物も死滅。木々は枯れて砂漠化にも繋がる、という連鎖反応があります。
食卓の上を見てみても、刺身はどうやってくるかというと、植物プランクトンを小魚が食べ、それを中級魚が食べ、マグロやカツオが食べ、それを人間が食べる。でももっと前まで遡ってみると植物プランクトンは海水中や海底のケイ素などの養分を取り入れてます。それは地上から流れ出す土砂に含まれています。ということは食卓の刺身のマグロは裏山の土で育ったとも言えるのです。ですから山の土砂を流さないようにする砂防ダムができると今夜のおかずにも影響するのです。
このように自然はいたるところで様々に結びついていて、むしろ我々人間の目に見えない部分の方が大事なものであることが分かります。
つまり、その流れ、システムのどこに影響があっても環境破壊、自然破壊なのです。そこに現在の環境問題の矛盾があります。我々人間は目に見えるものしか気にかけて来なかった。環境保護とは人間環境や地球そのものを守ることではなく、目に見えないバクテリアや、虫を守ることだと言えるでしょう。むしろ目に見える環境破壊は取り返しの付くものかもしれません。
O-157にしても、環境ホルモンにしても目に見えないところで我々をむしばんでいます。このミクロの恐怖も見えなかった恐さに他なりません。