時代に乗れない商店主
夢の売れない店・・徒歩の街の特性を活かせ
土浦の商店街が衰退した理由のひとつに「旧態依然」があるでしょう。
殆どの古い商店街がそうであるように、新しい時代の経営形態についていけないのです。それは何かというと、「買い物は夢を買うこと」という理念が提供できないこと。日常品にしろ食品にしろ、消費者はそこにかすかな愉悦、夢のようなものを期待しているのであり、それを提供、提案できるのが商店でなくてはならないのです。
タクアンが作りたい人が漬け物桶を買いに行く、そこには自家製タクアンの夢があり、その夢に見合った桶のイメージがある。大きさ、値段、色形、人を見て提案できるセンス、品揃え。もし無かったら取り寄せる手間を惜しまず、それを客に納得させるトーク。
私が土浦の町中の商店で買い物をするとき、これを持つ商店主、店員はまずいない。100%いないと言ってもいいでしょう。どの商店も自分の狭い価値観の中でしか提案できず、附加サービスの提供などしないのです。
たとえば、大きい寸胴を買いに行く。置いてない。「この大きさになると売れないからね、小さいのじゃダメですか?大して代わらないよ」「注文なら内金入れて欲しいんですけど」「注文なら1週間かかります」。
美味しいドイツワインを探しに行く。「ドイツワインは全部甘いからね、辛口ならフランスものがいいですよ、これならテレビでもやってるし・・・そろそろ閉店しますから(もう帰れ)」
ドイツワインが好きで行ったのになぜフランスものを勧めるか?
おまけにワインの1本2本売るなら閉店して夕飯にしたい、というのだろう。
今時、車で郊外店にいけば寸胴など安く大量に置いてあるし、ドイツワインだって手に入る。ネットで買うのも楽。電車で1時間で東京だし通っている人も多い。いくらでも手に入る。
それなのに「地元の商店で買わなくちゃ」、という人は沢山いるのだ。なぜそういう客を掴もうとしないのか。大型店の安いが無機質な買い物より、地元の笑顔で買える商店の方がいい人という人も沢山いる。むしろこれからは大型店にない暖かみ、夢を提供してくれる小規模店の時代とも言える。
旧市街の商店街はいうまでもなく車では不便。徒歩の客の店である。東京で言えば下北沢とか自由が丘とかその辺りと共通するものがある。彼の地が成功している理由のひとつに「夢」があだろう。居るだけで楽しい。生活のひとつの形を提案してくれている。ついつい買う。そしてこのついつい購買に至るには数回以上の只見があるのも事実だ。只見ができない店で客は買わない。
旧商店街にはこの全てがないと言ってもいい。そして再浮上のカギもここにあるではないでしょうか。( おわり)
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