公園緑地課 保存樹ご担当さま

毎度お世話様でございます。

 先日、田邊家にある木について保存樹の可能性がないか問い合わせた者です。
その際に、椎の木と椋木といいましたが、椋木ではなく榎木のような気がします。
その価値がどの程度かは判りませんが、旧市街にある民家の木のなかでは一番大きい木です。幹まわりは約3メートルです。個人的には旧市街地にあるというだけで保存の価値があると思いますが・・・

 先日お話ししていて非常に気になったのが、「江戸時代程度の木では保存樹になれない」というセリフです。
 非常に土浦の現状を把握されていない言葉ではないでしょうか。古い木が残っているのは、その持ち主が頑張っているからで、頑張り得ない人々は木をバンバン切って行っている。どんな木が切られているかというと、江戸より以降の木が殆どです。
これは何を意味するかというと、これから100年後、200年後、保存樹に相応しくなる木は育たない、ということです。現在進めている保存樹の認定は、このままでは後数年で相応しい木がなくなるでしょう。そのあとは、それらの木がなくなったところで、名木が消滅するとを意味しています。

 練馬区辺りでも樹齢数十年の木が保存樹に指定されたりしています。東京では当たり前といえば、それまでですが、それは、すでにある名木の指定、つまり「まもる」という考えではなく、名木を育てよう、という感覚なのだと思います。
 実は、土浦もすでに田舎に相応しい木は少ない筈です。枝を払われた神社の大木やすっかり裸になった屋敷森、無傷で枝振りのいい木など滅多にみません。樹齢百年でも貴重な筈です。
 確かに、「椎などはすぐ伸びる」というお話しもありました。しかし、不安だらけの現代人にとって100年というのは想像のできない長い時間ですし、100年であってもランドマークとして十分な価値を持つものもある筈です。一般人にとっての価値は学問的なものとは全く無関係です。どんどん伸びるなら伸びるだけ伸ばして
いいのではないでしょうか。前述の理屈で行けばそういう木こそいまの内に保存する必要があるのだと思います。それらの木が「これから数百年無傷の侭育つ」という方が考えづらいからです。開発途上の地域では若い木ほど寿命が短いのですから。

 このままでは、土浦の木は、緑は、箱庭の模型のようになってしまいます。樹齢五十年以上はみな保存対象、というくらい大胆な政策が必要ではないでしょうか。一家に一本必ず植樹、というような政策もいいかもしれません。緑に対するもっと革新的な保護をしないと、土浦は世間から笑いものにされてしまいます。

 それから、木個々を守るのではなく森、林という面で保護運動を展開する必要もあるでしょう。広葉樹の貴重な林も散見されます。屋敷森も貴重です。農村と一体化していた林の存在を忘れてはいけません。
 特に、田村、木田余、真鍋、下高津、大岩田の傾斜地の緑は土浦の原風景と云ってもいいでしょう。ここが切り崩されて地肌が露出していたりするのをみると心がいたみます。あの常緑の緑の帯は土浦の宝です。現在のシステムでは守りきれないのではないでしょうか。
何としても守って頂きたいものです。


 土浦の緑が末長く守られますようよろしくお願いいたします。