土浦はかつて、水運と農業で栄えた街です。霞ヶ浦の豊かな水の恩恵です。市内には至るところに水路が張り巡らされ、まさに「水の都」でした。
しかし、明治維新と共に、その水路は埋め立てられ私有地になっていったのです。何という、あさましさ。
三島や柳川、佐原といった町が水郷としての色彩を色濃く残しているのに対して、土浦は説明されないと分からないほど、水とは遠い存在になってしまいました。
そうはいっても、戦後までかなりの水路、小川のたぐいが残っていました。それが、壊滅したのは、車社会の当来と、公害です。道を広くするためにも、また、悪臭を防ぐためにも水路の類は埋め立てるのが(または暗きょ)一番だと考えられたのです。
全く無計画、無責任なことでした。
(左写真・道の向こう側にかつて幅1メートル50センチ程度の水路があった。現在もしそれがあったら確かに交通が成り立たない。歩道もない狭い道に対面交通。そこに問題がありそうだ。)
現在でも一部、水路の残っている地域もあります。でもなぜかガードレールがあって水を見るにはちょっと苦労します。三島市などとは雲泥の差です。本当に同じ国なのか、と思うほど。
水のソバにはマイナスイオンが発生し、心地よい気分にさせてくれるのです。水路は観光資源ばかりでなく、付近の住民にも恩恵を与える筈です。
この水路を復活し、景観を守るのは市民の義務ではないかとも思います。
・・ 
(おわり)