言いたい-Ho!

あきる野インターにみる公共性と犠牲


あきる野ICに地裁判決が出た。国交省の役人は怒ったそうだが、それより、すでに先祖代々の土地を奪われた人々の悲しみには同情を禁じ得ない。
事業規模は比較のしようもないが、期せずして我が町にも公民館移築問題がわき上がり町内を二分しての争いが起きた。地元の建設委員会が独断で決めた予定地周辺の住民が反対運動を起こしたのだ。ポイントは、民意を反映していない、ということと周辺への事前の説明がなかった、ということだ。が、委員会はどこ吹く風と建設を強行しようとまでした。

不思議なことにあきる野の問題と極めて似ている点が見える。その共通点は、両者とも公共性という名の下に計画をごり押ししようとしていること。国交省の役人にしても我が地元の委員にしても住民を見下すかのような特権意識を持っていること。

おそらく明治の昔から役人なり地元の権力者はこうして来たのだろう。だが、これだけもの余りな時代になり、権利教育が行き届いた世の中で従来のごり押しが通じる筈もない。

そしてもう一つ重要な事があるだろう。

本当に公共性が高いなら、付近の住民の方々には協力をお願いするしかないし、その協力は名誉でもあるだろう。同時に我々は、公共の利益のために犠牲となってくれた事に深く感謝しなくてはならない。新幹線でも快適なのは付近の人々の犠牲の上になりたっていることを常に考えないと。感謝と名誉、公共の犠牲となる人々との関わり方を根本的に考えないといけないのだろう