履修問題の背景には、ころころ変わる文科省の施策があることは明白でしょう。
変わらないと食べていけない学習産業の存在も大きいとは思います。同様のことは医療制度など様々なところで見受けられます。
ちょうど、旧製品を捨てて新製品を買って貰わないと存在できないメーカーと似ています。
進歩、便利さということが良いことであるなら、それは許されることかもしれません。
しかし、国の施策がころころ変わるのはいいことなのでしょうか?まず、変更の為のコスト。
これは膨大な額になるでしょう。役人の人件費から告知の為の経費の殆どが税金。さらに、
新たに購入などを迫られる国民個々の負担。そして、効果が上がらなかった場合のマイナス面。
特に、受験制度は数十年前からガラリと変わっています。
しかし、学問の本質は何も変わっていません。1+1は昔から2です。医療でも同様で、昔から風邪は風邪ですが、治療の方法論や費用負担はガラリと変わりました。
施策の変更は本当に時代に即したものなのでしょうか。役人は必要以上にいじり回しているだけではないのでしょうか?
「不変の真理」というもののおかげで残って来た文化遺産も多くあります。
優秀な役人の仕事は寧ろ、そちらを見つけるために存在すべきではないでしょうか。