皆さんも神社の大木の太い枝、街路樹や公園の木々の枝が無残にも切られているのを見たことがあるとおもいます。
折角の枝振りをどうしていとも簡単に切ってしまうのか。もちろん腐った枝を安全のために切っている場合もあるでしょう。しかし神社などの場合、近隣の庭に落ち葉が落ちるから、とか影になるから、という理由で切らされるのが殆どと聞きます。木から葉が落ちるのは当たり前のことなのに。
街路樹もどうして枝を払うのか。信号が見えなくなる、などの理由のようですが、街路樹は枝、葉があってこそ排ガス浄化などに効果をだすのであって、信号だけをいうなら最初から植えなければいいのに、と思ってしまいます。
我が家の近くの筑波研究学園都市には日本には珍しい、樹高10メートルはある立派な並木が10キロ近くにわたって存在します。しかし、先日無残にも枝が落とされ、電柱の行列にようになってしまいました。これでも並木といえるのか。又、近所の国立病院の大銀杏も枝ばかりか幹の先も切られてしまって、まるで丸太です。実に醜いし、痛々しい。病院ですらこれです。
これはもはや剪定とは言えますまい。虐待ではないでしょうか。邪魔だから、目障りだからという理由だけで、枝を払い、木を倒す。そこには風景の調和という考えも、木々への愛情もありません。
欧州では数百年の大木の並木はざらにあります。信号は枝の下についている場合も多々みかけます。並木と町並みが実に調和している。欧州の町並みが美しいのは街路樹のお陰でもあります。木々は昔からランドマークであり、信仰の対象でもあり、人々の生活に欠かせないものでした。それをないがしろにすることは、日本人の心は豊かになるどころか、ますますすさんで行くのではないでしょうか。
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