迷惑と我慢の上に社会は成り立っている

米軍各地移転問題が我が県でも問題になっている。しかし、ここで考えたいのは米軍基地に限らず、
多くの人が社会の犠牲になっているということだ。
高速道路、新幹線、空港、あるいは工業地帯などなど、付近の住民は騒音などに耐えながら生活している。


たとえば我々がウキウキと飛行機で旅行に出るその時、

その為に耳をふさいで生活している人々もいることを一体どれくらいの人が考えているだろう。
我々は何らかの形である人々に迷惑をかけ、その人々の我慢のおかげで生活が成り立っている。
我慢はそれだけで立派な社会貢献だ。我々はこれに感謝しながら生活したいものだ。
本来この我慢、犠牲は国民全体で分担しなければいけないものだろう。

だが、大多数の人々は権利の主張しかしていないように見受けられる。
その前に自分は社会に何をしているだろうか、と問いかけて欲しいものだ。
自分だけ良ければいい、という気持ちの蔓延は結局社会を良くない方向に向かわせている。
たとえば治安の悪化、ゴミ問題、環境破壊もそうだろう。
結局自分たちの首を絞めることになることにもう気づかなくてはならないと思う。

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