国のシンボルが安泰なら国も安泰なのでは?


もともと「君」は明仁天皇自身を指すものではない筈。
以前、朝日新聞天声人語に「天皇個人を敬う歌は主権在民の国歌には相応しくないのでは」という趣旨の文章が載っていましたが、これはいくつかの誤解を招く可能性があるように思います。

まず、王制を敷いている国では国王を敬う文意の国歌を持っているところは少なくなく、かつその国が国王の独裁、専政であるかというとそんなことはありません。イギリスの国歌にしてもそうですよね。

 また天皇個人を我々国民と同様の個人と考えるのはおかしいと思います。天皇は個人であっても天皇制そのもので、今上天皇個人が「シンボル」なのではなく、天皇制そのものが国のシンボルと考えるのが自然です。そう考えると、「君」自体で日本という国そのものを千代に八千代、と言っている事になるはずです。

 見方を変えれば、経済上も役職上も全くなんの利害関係もなしに国や国民について発言できるのは天皇しかなく、それが故にシンボルとなり得るのです。ですから、明仁天皇個人の人格を以てして「君」論争する事自体がずれていると思います。 

 日本はもともと下世話な利害関係を超越した象徴的人物の下に纏まってきた国です。これから国歌を決めるなんて言ったって、空々しいセリフが並ぶのは目に見えてますよね。第一、国民全員が納得できる価値あるものってありますか?「富士山」か「返せ北方領土」ぐらいなものでしょう。天皇制が安泰なら日本も安泰なわけで、その天皇制を歌ったものが国歌でどうして悪いのでしょうか?

戦後生まれが国民の大半になっているのに、戦前の人間みたいな反対の仕方をする人が多いのはどうしてなのでしょう。天皇制の名を借りて抑圧されてきた人々の気持ちなんて、戦後生まれには分からないのが実際。

それに、戦前の人で反天皇制を叫ぶ人は、必ず「だまされた」的な言いぐさをしますが、なんで戦前に立ち上がらなかったの?と言いたいですよね。その体制に浸かっていたから、今があるのでしょうし。(こんなこと書くと怒られるかな)

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