佐世保の事件をインターネット上に存在する擬似(サイバー)空間、
実生活では実現できない会話や視覚的体験などに結びつける論調が
目立ちますが、私は、実生活自体がすでに擬似的な感覚に支配され
ているではないかと考えています。
たとえば、今の子供たちは教師や親から体罰を受けることもなく、
草刈りなどで手を切って出血したり、虫に刺されとか木登りして
落ちて痛い思いをしたこともなく、田圃の泥にはまって動けなく
なったこともない。下手をするとマッチなどで火をつけたことも
なく、たき火で芋を焼いたこともない。当然、昆虫やは虫類を素
手で捕まえたこともない。
当然、こういった行動で育まれるべき身体感覚が全く欠如してい
るといっても過言ではないと思います。それを証拠に、締め切っ
た部屋で暑くても窓もあけない(服を脱がない)、夕立にあって
も雨宿りせずびしょぬれで歩く、など身体感覚が本能的な行動に
結びついていない例をたくさん見かけます。
友人に腹を立てる、意地悪した、悪口言った、だから喧嘩にな
ったなどということは昔からあることです。しかし、昔の人間
は身体感覚を持っていた。これ以上になると、けがをする、大
変なことになるという限界を感じながら育って来たと思います。
だからこそ、最悪でも最後の一線を越える事はなかった。佐世保
の事件だけでなく、青少年が死に関わる事件が頻発しているのも
、まさにこの身体感覚の欠如こそが元凶になっているように思
えてなりません。