土浦市の紹介

★気づいたら全てを失ったキリギリス★


■土浦の地図とあちらこちらへ■


 概要

土浦市は、滔々と水を湛える霞ヶ浦、そして、平将門が築塁したという伝説の残る土浦城とともに、千年近い歴史を持つ街です。

 

土浦城跡亀城公園 以前はそのまま水が飲めた

江戸時代には、水戸街道の要衝として、また、霞ヶ浦と江戸大川を結ぶ船運の拠点として栄え、公魚、蚕、醤油などを送り出しました。「醤油」=「むらさき」という言葉も、土浦から見える紫峰筑波を商品名にした地元産の醤油が語源になっています。

 

桜の桜川と奥に筑波山

この紫峰筑波と霞ヶ浦とのコンビネーションは美しく、多くの文化人、芸術家の目を楽しませたものです。

 明治以降は隣町に予科練、土浦海軍航空隊が置かれ、ツェッペリン号の飛来、リンドバーグ氏の太平洋横断飛行の着水点となったり、軍の街としても一世を風靡しました。かつては商圏日本一の広さを誇り、駅前バスの発着本数は県内1であったことも・・・。


 しかし、地方の小都市にありがちな硬直化した市政が街を衰退させていきます。すなわち、

  • モータリゼーションへの乗り遅れ
  • 環境、観光資源(霞ヶ浦)の汚染         
  • 街並みや農村風景など歴史的価値の軽視
  • 中途半端な開発

 昔ながらの道路では十分な交通量がさばけず、また傲慢な商店の姿勢が顧客のニーズに対応できず商業は衰退しました。鉄道を中心に据えた新たな機能作りが必要だったわけですが、筑波山に向かう鉄道も廃止されるなど、地域としての取り組みは見当外ればかりです。


課題と思われるもの


霞ヶ浦・最近やっと堤防の内側に草が戻ってきた

霞ヶ浦

 唯一の観光資源であった霞ヶ浦は、水自体の汚染と、都民への水を供給するための水瓶化計画の一環で堤防が築かれ、往時の姿は完全に消え失せました。浄化と広報のために様々な人たちが活動しています。が、水瓶策再考、肥料の流入や鯉の養殖など富栄養化対策という政治的方策がないと各論に終わってしまいそうです。

水路と生活

 また、土浦はもともと町中に水路が拡がる水郷でしたが、明治以降、みなが勝手に埋め立て自分の土地にしてしまったり汚水を流したりで、現在殆ど暗渠となり、最早名残を一部に残すのみです。市内に水郷らしさを復活させる事業も必要では?

城跡と旧市街

土浦城跡ですら火災にあった後、再建もせず放置し続けるなど、近年ようやく再建しはじめはしましたが、景観に関する感心は低い、と言わざるを得ません。他市でも実現しているので、町並み再生などに努めるべきではないでしょうか。

周辺地域

 旧市街よりやや周辺部の田畑を開発していく計画は、周辺農村の残っていた町並み、水路、緑を破壊し、渋滞を招き、余計に街の評判を下げてしまったにも関わらず懲りているようすはありません。現在も日本一の蓮田を埋めて新道を建設、江戸の名残がかろうじて残る旧市街に新道などと、一貫性のない施策がまかり通っています。道路ができれば周りに事業用地が出来、そして店が潰れて放棄地が出来・・・その繰り返しで農地や林は廃墟や砂漠になっていくのでしょうか。

市民性

私も旧市街生まれですが、完全に「冬を迎えたキリギリス」ですよね。
昔から「新しいことを言うと叩かれ、他がするとマネをする」市民性でもありましたが、小手先でマネを繰り返してももうダメでしょう。
かつて、常磐線を今の場所に敷かせたような発想とパワーが必要です。

愚痴から卒業しよう

東京への通勤圏にありながら、田舎町の性格を色濃く残し、都会的な感覚も導入できず、観光都市でもなければ、農業以外これといった産業があるわけでもないのに農地を潰す、実に中途半端な状態なのです。このマイナスポイントの見方を変えて大きなプラスに転換する・・荒療治をしなければこの街は勢いを取り戻しません。愚痴をこぼしていても何も解決しないので。

 問題山積。「街に言いたい放題」のページもごらんください。


土浦、その過去の栄光

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